ESS初期の記録


昭和三年十月廿7、廿八日の兩日夕方五時半より第六回外國語劇大會は本校講堂に於いてあのシャンデリヤ輝く下に華々しく開催された。初日即ち廿7日の夕の大入りは確かに創始以来の盛會であつたと思ふ。七時半頃には立錐の餘地無く、入口には早満員につき入場謝絶の掲示を掲ぐるの止むなきにいたった。我々が日頃教室に於いて學びたる外國語を、劇なる藝術に結合せしめて力一杯表現するのは此の際である。関係諸先生の絶大なる御力盡し熱心なる我々語學研究生とが渾然融和して他高等専門學校大學にても追從を許さざる美事なる劇大會を開催し得た事は共に擧って祝福する處である。

[信陵7号 昭和4年2月]

これは、土井先生が捜し出して下さったESSに関する資料の中で最も古いもので、昭和4年2月16日発行の「信陵 7号」語学部部報からの抜粋である。これによると、第6回の英語劇公演が昭和3年10月27、28日に開催されたとある。第1回の英語劇公演は大正13年に開催された。

 

若芽萌え立つ信陵の春と共に我々は冬眠から醒めて、發喇たる元氣を以って活動を開始した。「デイリーアセンブリ」の創始によって從来年数回の週例會及び演説旅行、外國語劇大會以外に殆どスピーキングの機會を与へられなかつたメンバーは、茲に於いて毎日一時間の昼休みを思ふ存分に練習し語り合ふことが出来る様になつたのである。集會所に、或は時にグランドの芝草の上に青空を往く白雲を眺めながら、易しい英語で指導された快い思出は諸兄の偉績と共に我々の胸から消え去る事のないものである。

(中略)

我々の理想とする所は、謂はば、福島高商より甚だ名譽でない「アイ・アム・ソリ」を根滅することである。横文字で「○○○・・・××・?」と訊かれて、目を白黒して立ち往生する所は見られたものではない。又英作に英訳に會話に、聴力の不足、會話力の不十分を歯痒く思はれる諸兄は決して少なくない事と思ふ。スピーデイな英語を理解する力、突嗟に返答の飛び出して来る力と云ふものは、ただプラクテイス、即ち、習練、反復によってのみ得られる。それは英語を話す絶好機會たる毎日のESSミーテイングに出て飽きずに練習することが最上の策と思はれるのである。此の「英語を話す機會」を豊富に供給するのがESSの役目である。

[信陵24号 昭和13年2月]

ここには、現在のESSのデイリー活動の原型となる活動を見つけることができる。実践的な英会話能力の不足を嘆き、それを補うためには毎日活動に顔を出して、たゆまぬ修練を積むことが肝腎であると述べられているが、今でもよくいわれることであり興味深い。


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